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舞踏会 (小説)[ぶとうかい]
『舞踏会』(ぶとうかい)は、芥川龍之介の短編小説。ピエール・ロティ著『秋の日本』の中の一章「江戸の舞踏会」に着想を得た作品である〔冉小嬌「三島由紀夫『鹿鳴館』論―ピエール・ロチ『江戸の舞踏会』と芥川龍之介『舞踏会』との比較を通して―」(早稲田大学大学院教育学研究科紀要、2012年)〕〔。明治19年の天長節の晩、鹿鳴館で催された大夜会に招かれた娘が、或るフランス人海軍将校に踊りを申し込まれ、二人で美しく儚い花火を眺める淡い恋の物語。32年後、老夫人となった彼女がその一夜を思い出すという構成で、一場の生を花火に重ねた初々しい青春の溜息が、軽やかな音楽を思わせるロココ風な趣で描かれている〔。 1920年(大正9年)、雑誌『新潮』1月号に掲載され、翌年1921年(大正10年)3月14日に新潮社より刊行の『夜来の花』に収録された。なお、刊行本収録の際、最後の老夫人と青年小説家の対話の部分は改稿された。 == あらすじ == 1886年(明治19年)11月3日の夜、明子は父と共に、菊の花で飾られた鹿鳴館の舞踏会へ赴いた。初々しい薔薇色の舞踏服の美しい明子に人々は驚かされた。ある仏蘭西人の海軍将校が明子に踊りを申し込み、二人はワルツを踊った。踊りの後、明子が「西洋の女の方は本当に御美しうございます」と言うと、将校は首を振り、「日本の女の方も美しいです、特にあなたは」と褒め、明子を「ワットオの絵の中のお姫様のようだ」と讃美した。そして、「パリの舞踏会を見てみたい」と言う明子に、将校は、「パリの舞踏会も全くこれと同じ事です」と言い、「パリばかりではありません。舞踏会は何処でも同じ事です」と半ば独り言のようにつけ加えた。 明子と将校は、星月夜の露台に腕を組んだまま佇んだ。夜空を黙って見る将校に明子は、「お国のことを思っているのでしょう」と訊ねてみた。彼は首を振り、「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴイ)のような花火の事を」と優しく明子の顔を見下しながら言った。 1918年(大正7年)の秋、老夫人となった明子は、鎌倉の別荘へ赴く列車で乗り合わせた青年小説家が菊の花束を持っていたことから、菊の花を見るたびに思い出す舞踏会の話を彼に語った。青年作家は、その仏蘭西人将校の名前がJulien Viaudだと聞き、「あの『お菊夫人』を書いたピエール・ロティだったのでございますね」と興奮ぎみに問い返したが、将校の筆名を知らない夫人は、「いえ、ジュリアン・ヴイオと仰有る方でございますよ」と不思議そうに答えた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「舞踏会 (小説)」の詳細全文を読む
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